2015年11月 7日 (土)

2015 CJ-2 京都ゆぶねステージ

11/1(日) CJ-2 ゆぶねステージ
天気晴れ・路面ドライ
チャレンジA 4.71km×3周回 12位/出走12名(DNS3)

まず、今回この試合に出れるまで、様々な人々の力でここまで出来た事、感謝したい。
一里野でレスキューして頂いた方々、SNG隊といつものCJ仲間、そしてそのご家族、外科の先生、いつも無理聞いてもらってるOne on One店長、今は一緒に走れてなくても心配してくれたMTBを通じた友人、そして我が家族・・・ありがとう。

前日(試走日)
一里野から3週間、ようやく身体の腫れは退き、外傷も一番大きなキズを残してほぼ最後の治療を残すのみ。機材は金策含め何とか週半ばに部品が揃い、店での調整も終えた。

まとめると、怪我は打撲では大腿外側が酷く、内出血(皮膚下出血)の名残りが大腿内側に浮かび上がる状態。外傷は一番酷い右踵上、湿潤療法で皮膚生成中でパッド外せず。その他の擦過傷がある場所で浮腫みも多数。あと右手薬指が強い突き指、医者曰く腱を痛めているとの事で、これは今でも腫れ、痛みが残り、しっかり拳を握る事はできない。都合よく自転車のグリップ程度なら保持できる。

014 
機材のダメージは結果、リアホイール全損交換、フロントホイールはリム変形あるも曲げ戻しと振れ取りで“使えるレベル”まで修復。ステムも捩れが酷く全損交換、チェーンとグリップが破損交換、ハンガー曲がり修正。直せない、あるいは直せてない部分で右側(前側)ブレーキマスターシリンダーマウントのキズ、リアメカのゲージ、カセットトップ側から3枚目(15t)と4枚目(17t)の歪み=歯飛びする(これは走り出して気付いた)。

会場へ移動する前、朝に近所をひとまわり。とにかく踏んで痛くないか、とフレームから異音がしないか、フォークの沈み込み時にハンドルが取られないか等、身体と自転車の挙動を確認、それを終えて家を出た。

017 
14時半、会った人々に生存報告。着替えてコースイン。急登坂に全く対応できず、また3週間のブランクは確実に身体機能の劣化を露呈し、心拍は必要以上に上昇、息は上がりっぱなしでゼーゼーが止まらない。1周でクタクタだ。

013 
もう1周行くのも億劫な程。しかし、運営スタッフに先輩が居たことで「コースクリアチェックするから、前を走って最終走者になれ」とのオーダーで再びコースに。先ほどよりはスムーズになり、トレイルライドなら本当に面白い各セクションを吟味しながら試走を終えた。

日も影ってきたので撤収、京都の自宅へ帰った。


試合当日
自宅から1時間で到着というのは本当にありがたい。そして出走時間が一番目ではなく、マスターズと同枠=2番時間帯なので助かる。しかしこの朝は強く冷え込み、自動車の車外温度計が1℃を示しており、会場でも焚き火を用意してもらうほど。その寒さから試走はいいや、と思っていたが、当日現地入りの愛知の面々が走りに行ったので、後ろから付いていく事に。

009 
昨日同様、ドライな路面でしっかりグリップしてくれるが、急勾配はやはり踏めず、自転車から降りることに。本番も押し決定なポイント数箇所をチェックし、試走終了。

やがてユース・チャレンジBの試合が始まり、我々は待機状態。日が昇って少しずつ暖かくなってきた中、着替えや食事など。朝、家を出るときバナナ1本だけだったので、ryuちゃんに吐くよと言われつつもどうしても腹が減ったので、控えめにおにぎり1つとロールパン1つ。そして出走直前にゼリー系を摂った。

待ってる1時間はあっという間、やがてアップ、召集。今回は前にマスターズ6名が並び、2分後に我々チャレンジA12名+女子ジュニア1名という構成。メインのCJ-1が終了したとはいえ、非常に寂しい光景。

10時30分、マスターズの面々が出て行く。追って我々2分後、号砲とともにオンロードをぐいっと登る。ここだけで一気に乳酸溜まる勢い。一瞬ケツになったが、踏み込んで数人抜く。そしてすぐに急なST。と、数人前の選手が足をついたので、そこから押し。自分は、再び乗って行こうとする前走者のように飛び乗れず、呼吸MAXままで押し上げる。

やがて一番厄介な直角コーナー、皆押してクリアかと思いきや、私の前は全員乗って行った。ああ、ここまで力の差があるのか・・・。少し平地な場所までそのまま押し、息は絶え絶え、余裕の無いのが丸わかり。それでも次のセクションは乗ってクリアし、少し後続を離す。

しかし前半に急な登坂を備えたこのコース、全く呼吸の整わないまま乗車バランスの取れない私を尻目に、前の集団はじわじわ遠のいていく。ようやくST下りに差し掛かった頃は単独だった。

何とか呼吸を整えたいのだが、異様に上がった心拍と相まって、自転車のコントロールすら危うい。試走では全く失敗することの無かったセクションも何度か足を着き、押し、勢いで上がれる筈の登り返しも押しばかり。当然後続は詰めて来る。気がつけば後ろの2名に抜かれ、単独最下位に。

アップダウン激しいSTを抜け、一時的にオンロードへ出て、再び山中へ。そのピークにつながる頃、少し遅れ気味の選手に追いつき、パス。しかし間もなく駆け上がりのキャンバーセクションで、折角のベストラインを通ったにもかかわらず、身体が強張って足着き。そこで真後ろの彼に抜かれる。

その後ピッタリ後ろに付くが、そこから狭いST、抜きどころが無い。前走はフルサス29erなのに、下りとコーナーが正直遅い。ここで息を整えようと考え、少しペースダウンまま、暫く付くことにした。

しかし、それはまずい選択だった。地味に登坂を繰り返す後半のSTは、徐々に脚を削り、反撃の瞬発力を無くしていった。1周目が終わるときに、最終走者パックを作ってオンロードに入るが、私より登坂の力がある選手だったので、徐々に引き離される。

001 
2周目、一旦どんと離されるが、前半のSTのテクニカルな下りで、また車間が詰まり、そして繋ぎのオンロードで再び離され、後半のSTもチラチラと先行する選手の後ろ姿が見え隠れ、手が届きそうで詰め切れない。

003 
やがて、自分の両大腿が痙攣を始めた。ピクピクと、いつ固まってしまってもおかしくない状況。今足を着けば、間違いなく「ぐわっ!」てなるだろう状況になってきた。

2周目を終え、ジャンが鳴って最終周回、もう少し踏めそうだが、いや、かなり怪しい雰囲気。単独でケツになってしまった自分、所々コース上に居たギャラリーも移動し、立哨の人しか居ない。加えて、コースクリアの為のスタッフが後ろから付いて来る。そんなプレッシャーの中でも、ほぼ登りはインナーロー縛り。走っている感ではない、移動している感、かろうじて止まってないという状況。しかし決して諦めた訳ではなく、少しでも速く走ろうとする気持ち。集中力は欠けることは無かったように思う。

下りはきっちりプッシュを入れ、コーナーはオーバーランしない程度にアンギュレーションを意識してクリアしていく。気持ちよく自転車は走ってくれ、やがて麓に戻ってコントロールラインを跨ぐ。ああ、やっぱりドベで今シーズン終了したわ。それでも今の私の力はこんなもの。そして出し切った感はいつも以上にあったので、これはこれで良し。

自身は満足でも、モブな私のゴールなど気にする人もおらず、後ろから追ってきた先輩から声をかけてもらう位・・・と思いきや、京都から自走で試合を見に来たミゾさんが居た。脚ピクピクで息が整わず咳き込むばかりで途切れ途切れの会話になっていたが、予想外の来客は嬉しかった。

暫くして、落ち着きを取り戻した頃、クールダウンとお見送りの為、彼とゆるゆると走り出す。朝に山を走り、その後この会場まで足を伸ばしてくるなど、やっぱり彼はタフだ。また京都に帰った際の再会を約束し、別れた。

その後はゆっくり片付け、「先に帰るよ」とエリートのフィードに居るMasさんに挨拶に行こうとしたが、結局buchi君の熱い、そしてぶっちぎりの走りと、京都のレーシングチームの面々、そして我がSNGリーダーセンムやryuちゃんと、皆の力溢れる姿を見ているうちに、結局レース終了までその場を離れることは出来なかった。

005 
エリートのレース終了直後、売店で家族にお茶菓子をちょっとだけ買って撤収。滅多にお土産など買わない私だが、ちょっとだけ気分が良かったのかな。

これで私の2015シーズンのCJは閉幕。来シーズンまで、更に更に低下する体力気力をどうやって維持していこうか、恥を忍んで老体を晒しながらレースする方法を考えながら過ごしていこう。

2015年10月21日 (水)

2015 CJ-1 白山一里野温泉

2015 CJ-1 白山一里野  XCO 10/11(日)~10/12(月・祝)開催

天候:11日 雨 /12日 晴れ&曇り(朝~エリートスタートまで)、後雨(エリート試合途中

以降)

路面:マッド、ウェット

カテゴリ:チャレンジA スタートループ2.7km+本コース4.15km×3周

順位:20位/23名出走

10日・試走日

朝9時に名古屋を発ち、45さん号で白鳥~勝山経由で。途中の勝山でおろし蕎麦を食してから現地、宿入り。

014 (最近必ず美食にありつこうとしている自分)

この日出発時は曇り、現地では雨(しかもかなり強く)。止み間を狙って試走しようと準備するも、結局再び雨が降り出し、制限時間ギリ、ryu君、45さんと共に徒歩でコースを歩くことに。

011 (ぬたぬた)

日が落ちたころに宿に戻り、風呂後夕食を腹いっぱい頂き、早めに就寝。

11日・本戦日

朝6時過ぎに起床、7時から朝食。空は雲が切れて晴れ間も。前日走っていないメンバーが試走に向かう。
この時点ではかなりのウェット&マッド。一番急な登坂部はラインを間違えるとマッドタイヤも食わない。しかし、それはテクニックの問題で、雑に強く踏んでいた自分に問題あり。
芝の上ではマッドタイヤは激重だが、後半のぬかるみSTでは比較的安定して走れる。これでタイヤセレクトを前後マッドタイヤ=IRC STINGOに決める。

一旦洗車と着替えに宿へ帰り、先発のチャレンジBクラスが走る中、準備を整える。あっという間に召集30分前になったのでアップに出かける。この時点で天気は回復する方向へ。

アップを終えて召集に向かうと既にコールが始まっていた。
出走人数23名、20番スタート。殆ど最後尾なので慌てる必要なし。周りの様子、タイヤを見ると、富士見(全日本)時とは逆で、マッドタイヤは自分含め2~3人、皆普通のタイヤを履いている。おそらく芝を見据えてだろう。また、選択ミスか。

ユースが先に出走し、我々はすぐ並びなおしした後、2分後に号砲。一瞬クリートキャッチにミスる(あまり無い事)がすぐに集団のケツについて一発目の急坂にかかる。ここはわりと皆足もつかず、そのままスタートラップ=ゲレンデ中央に向かう。前の面々は(気のせいかもしれないが)少し勾配がゆるくなると軽やかに加速していく。片や自分は、芝の下の土に刺さる、がっしりグリップしてるタイヤを、ゴリゴリ踏むしかない。
そんなでじわじわ集団がばらけ、まだもうひとつ身体がシャキッとしない自分は最後尾。それでも淡々と踏んで調子悪そうな選手を数人パスし、1周目に入る。

本コース1周目、そして2周目はこう着状態で、前の選手数名との距離は縮んだり伸びたりで、追いつけない。やっと集中しだして、今までの試合よりしっかり走ってる筈なのに、ここ最近の練習の成果は意味を成さない程、芝の漕ぎは重い。

002 (photo:まっちゃん)

そして削られる脚と、水分が少しずつ抜けてきた黒土がまとわり付き、その泥で重量増、自らスリップを誘発するタイヤと化し、路面に食いつかない状況に。ゲレンデピークに向かう最後の坂もそうだし、後半の林間STもそれが滑る原因となって、マッドを履いてグリップを稼ぐ、という意味を為さなくなってきた。

2周を終え、かなり前との差が出来たが、3周最終周回にもう一度気を取り直して我慢で踏む。チラリと振り返ると、すぐ後ろの選手と私でケツ争い状態だった。その彼もSTがスムーズでそこで差が詰まる。そしていよいよ林間STを抜けるころには、ピッタリ後ろをマークされ、階段くだりを終え、芝生のストレートで前に出られてしまう。

80%小屋のクランクで前走にピタリと着け、いよいよ最後の直線。彼が若干コーナー右に膨れたので「ここだ!」と一気にケイデンスを上げて加速。相手も負けじとゴリゴリ踏んできて、だんだんこちら(左)に寄ってくる。
刹那、コントロールラインを跨いだ瞬間は僅かに私が前に出た・・・の瞬間、右に選手、左に計測小屋、その間隙はあまりに狭く、「あっ!」と言ったか言わなかったか、ハンドル左が計測小屋に引っかかり、一瞬で自分と自転車は宙を舞った。

気がついた時は、自分は道路横の芝生に倒れこみ、自転車はアスファルトの上を飛んでいった・・・ようだ。
手足が痺れ、声も出ない。すぐさま駆け寄ってきたマーシャルや友人の顔も、言ってる事も認識できるのだが、表現が出来ない。「ダメだ!動かない」『・・・』「どこが痛い?」『・・・(あうあう=声は出ていない)』「家族の方は?」『(今はいません)』「レースは終わったから安心して」『(いや、結果より痛いっす)』「救急車準備か?」『(いやいや、そこまでは・・・)』

すぐに毛布と担架が運ばれてきて、数人に抱えられて医務室直行。担架からベッドに移され、先生(医者)が来られた頃、ようやく声が出てきて「・・・い、い、痛い」と声を発する事ができた。
傷口を消毒され、骨が折れてないかチェックされ、意識の確認をされ・・・「大丈夫そうだから暫く安静に」とまた毛布に包まれ、妙に暖かくなりウトウト・・・少ししたら出走前のエリートメンバーが様子を見に来てくれた。

やがて痺れも治まり、痛みがジンジンと。ゆっくり起き上がり、パトロールの方に水をもらい、落ち着いて自分を観察した。
強く打ったのは左大腿、擦過傷で一番痛いのは右足首後ろ。その他脚は沢山の掻き傷、左腰と左肩が少し痛む。
右手薬指が強く突き指。幸い、頭は打っておらず、ヘルメットも無傷。派手にいった割には、この程度で済んだようだ。

その後、外で頑張っているマスターズのメンバーを見ながら、パトロールには自転車とスキー談義など、暫く四方山話に付き合ってもらい、ネタも尽きた頃にゆっくり立ち上がって礼を言って医務室を出た。

それから宿に帰ると、無残な自転車が横たわっていた。

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後輪のスポークはまとめて引き千切れ、フロントはパンク(後でわかったが、前リムは凹んでいた)。チェーンは捩れ、本体泥だらけ、あちこちに傷や路面に擦られ削れた跡が余計に衝撃の大きさを助長していた。おそらく衝撃のエネルギーの大部分を自転車が受けてくれたのだろう。見れば見るほど切なくなった。

そんな自転車を洗車し、自身は動きが緩慢なまま着替え、片付け。
風呂に入って汚れや汗を流して、再び医務室へ行けばパッドの張替えもできたのだが、ちょうど雨が降り出してきたので、身体をタオルで拭くに留めた。

暫くすると、雨でボトボトになったエリートメンバーが次々帰ってきて、風呂着替え片付けやらバタバタ。そんなで最近めっきり日の入りが早くなって外も暗くなってきたので、子連れの面々は先に撤収。残った我々は食事をしてからと、白鳥でお値打ち肉を食らってそれぞれの帰路へ。
「ああ、こんな形でシーズンを終えちゃうのか・・・」
なんともモヤモヤが取れないまま家の扉を開けた。

ほんとたくさんの皆さんに助けてもらい、ご迷惑をかけ、心配もしてもらいました。
ここに改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
暫く身体の養生、そして自転車の修復に時間を取ります。

(おまけ)

001 (これって湿潤療法?)

事故後約10日。全体の腫れはかなり退いた。直後90度も曲がらず、地べたに座る事が出来なかった左脚もようやく・・・だが正座は出来ない。右足首がかなりの擦過傷らしく、医者も「しばらく時間がかかるよ」との見解。打撲の痛みは少なくなったが、皮膚表面を引っ張るような歩行等が、痺れを生じさせて、右脚全体を引き摺るような動きにさせている。
右薬指はようやく箸や歯ブラシを“そっと”持つ程度までは回復。

自転車は今はお金が無く、ホイール、チェーン、グリップ他を買い換える事が出来ず、分解されたままの状態。

身体が治るのが早いか、自転車が走れる形になるのが早いか。

2015年9月12日 (土)

ROCKSHOX REBA RL 29(2015) ダンパーオイル交換とおまけ~SoloAir

久しぶりの機材ネタである。フォークオイル交換。今までFOXのオープンバスとFITカートリッジ(2012迄)を紹介したが、今回はRockshox、レガシーな構造のモデルだ。

お約束で、もし、この記事を見て作業の参考にしようという方が居られたら、自己責任でよろしく。

詳細はSRAMのサイトのサービスマニュアル(英語他、日本語は無し)ご参照。

以下は作業時の気付いた所などをピックアップ。

まず道具類。

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(だいたい右から)アーレンキー5mm(ステムやキャリパー外す際に使用するだけで、本体で使うところは無い)、2.5mm、ロングのアーレンキー5mm、サスポンプ、24mm六角ソケット、サークリッププライヤー(今回は使用せず)、5wtフォークオイル、7wtフォークオイル=本来、マニュアルでは15wt指示だが、使用量が少ないのと、直接ダンパーに働くところではないので残りの油、それも社外品で)、オイルパン、軽量カップ、スポイト大小。ここに載せるの忘れたが、プラハン(プラスチックハンマー)、ラジオペンチ、多い目のウェスは必要。

分解順は①エア減圧~②アウター(ロワー)レッグ取り外し・油排出~③フォームリング取り出し&洗浄、注油~④コンプレッションユニット(MotionControl)取り外し・油排出~⑤リバウンドユニット取り外し=今回せず・油排出、で

組立は⑥ダンパーオイル注入~⑦コンプレッションユニット取り付け~⑧アウターレッグ取り付け~⑨エア加圧、である。

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まずエアチャンバー減圧。ポジ気室を下げれば、ネガ気室も下がる=脚が短くなるはずだが、旧FOXのようにネガが金属のスプリングではない為、グイグイ縮んでいく感じではなく、どちらかというと手である程度押してやる感じ。この時点で無理に全部抜く必要はない。

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リバウンドノブは差し込んであるだけなので、引き抜けばOK。そこにロングの5mmを刺し、ボトムボルトを3~4回転(3回転でいい)緩めて止める。で、このアーレンキーが刺さったまま、アタマをプラハンで叩く。シャフトをアウターレッグから抜くためだ。シャフトが抜けたら『ジュゴォッ!』という空気の音がする。結構しっかり叩く必要があるし、ここでネジを潰したくないので、なるべく緩めるのは最小限に。3回転で抜けなければ4回転目に、という気持ちで。

抜けた音がしたら、ボルトを緩めきり、オイルパンにボルトと廃油を落とす。ダンパー側が終わればエア側も。いっぺんにやろうとすると、不意に油が散るのでお勧めしない。

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本来純正15wtは透明(だったと思う)だが、エア側はSRAM Butterが少し出たか、赤くなっていた。

さて、ここから先にアウターレッグ側の作業を先に。内外を拭きあげ、フォームリングをそっとペンチで引き抜く。本来はダストワイパーを外してからの作業だが、ダストワイパーの圧入工具が無いのでお手抜きで。

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内側がいい具合?に黒くなっている。エア側で不具合があって、店で全日本前に開けた時はこんなこと無かったので、おそらくあの富士見の黒土が滲みたか。これをウェスで摘むように絞っていく。さらにオイルを加えて揉み、同じ作業を数回・・・

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どこまで?だが、自分はこんなもんで。これに新しく入れるDU潤滑用のオイル(今回は7wt)をスポイトで滲みこませていく。ヒタヒタになったらアウターレッグの元の場所に挿入する。ただ、その際は捩れが無いように何回か摘んでは押し込み、を繰り返す。もし、一部でも捩れや突出があると、“噛みこみ”が発生する可能性がある。慎重に。

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戻した状態。開けたときは周りも真っ黒だったが、何とか見れる状態に。

さて、メインのダンパーメンテへ。

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トップキャップ上のコンプレッションノブを取り外す。モデルRLは調整機能が少ないので、この部分はシンプル。意外とピッチの長いネジで留まっている=一瞬タッピング?と思った程。

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外すとこんな感じ。ディンプルは全周にあり、例の如くクリック感は手前の凸部で表現されている。

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24mmの六角ソケットでMotionControlユニットを緩め(FOXみたいにガチガチに締めていないのですんなりと緩んだ)、ゆっくり引き抜く。その際、一気に引き抜くのではなく、徐々に、かつ横に振りながら油を下に落とす感じで。因みにユニット下側はOリングでパイプの内壁面に接しており、この状態でも中に落ちたりはしない。

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MotionControlユニット。通称「焼きちくわ」。この構造が複雑になればなるほどお高い物に。これは油の流量を大雑把に制限するだけの物。

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コンプレションノブの全開時と全閉時。この僅かな隙間からユニット内へ油を上げるか、止めるかを段階的に制御。縮み側も、伸び側も影響を受ける。このユニットは常時、半分程度油に浸かっている。

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よく分からない写真になってしまったが、油をオイルパンに吐出した図。ピチョンと滴った部分が右上に。何が言いたいかというと、そんなに汚れてなかったって事。2月に自転車がロールアウトして約7ヶ月使用。よく考えれば、オープンバスのようにDU潤滑とダンパー制御を兼ねているモデル(昔持っていたF80RLCなど)と違い、スタンチョン内の塞がれた筒の中でピストンの擦れる動きだけなので、外から汚物が浸入することはほぼ無い。ただ、FITカートリッジのように空気すら遮断した構造じゃない分だけ、ダンパー内の空気と撹拌され僅かに酸化する事と、摩擦熱や流圧で劣化する部分が性能低下につながる要因かな、と。

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シールヘッドとダンパーシャフト。そしてその中側。本来はそれを留めているCリング(リテイニングリング)を外して、そのものを抜くのだが、シャフトを『シュコシュコ』してると下側の油も吹き出てきたので、今回は作業せず。ただ気をつけなくてはいけないのが、シャフトは挿入すればする分だけ入っていく、止まるところが無いので、押し込み過ぎると上から抜ける可能性が。またそれを戻すのは大変そうだから、写真より先に押さないように。

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新しいダンパーオイル、純正(MAXIMA製と思われる)5wt×106cc。これを筒に流し込んで、MotionContorolで蓋をして、アウターレッグを嵌めて

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逆さにしたら左右、DU潤滑とフォームリング用に5ccの油。これが本来15wt指示。今回手持ちの7wtで。注入口が奥まっているので、大きなスポイト計量メモリ付きで対応。

後はフォークを縮めて、エア/ダンパーシャフトをアウターレッグに密着させて、ボトムボルト締め上げ(※ここでも本来ならクラッシュワッシャーを交換するのが望ましい)。ダンパー側はリバウンドノブを奥までしっかり挿入し、後はエア加圧。自分の設定値まで上げて完成。

自転車に組み込んで、少し近所を走ったが、それまでと大差は感じなかった。ただ、リバウンド調整が、数クリック分、スロー側に振っても大丈夫だったので、油の流れが少し良くなったのかもしれない。後はオフロードで実践走行でチェック。

そうそう、組み込み直後は、MotionControlに充分油が行き渡ってないので、ロックが効かない。サスに体重をかけ、何度か大きく(ほぼフル)ストロークをさせてからチェックね。

(おまけ)

先述したが、夏前に一度店でこのフォークを開けている。そのときはエアチャンバー側。以下にその際の写真を挙げる。

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エアチャンバー側はグリス=SRAM Butter(JUDY Butter)、RedRumでコテコテ。その作業をしてもらっている間に、例の謎の仕組み=SoloAirの秘密を探るべく、スタンチョン(インナーチューブ)の中を覗くと

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これだ。

エアピストンの上=ポジ気室と、下=ネガ気室を同じ空気圧にするためには、どこかに空気の通路が無くてはならない・・・それが写真の中央辺りにある小さな溝。縦横1~2mm、深さも1mmあるかな?程度。この位置にエアピストンが来ると、加圧している際はポジからネガへ空気が流れる。逆の際はポジ圧が下がると、ネガ圧の方が勝つが、ネガ室が伸びる(大きくなる)ので逆流のケースは少ない。どうしてもやりたい場合は、フォークを引っ張り、ポジ室の圧が低、ネガ室を高(元の圧)にして、さらに引っ張ってこの穴にピストンが来るくらいにすると、『プシュ』といってネガからポジ側に空気が入って(戻って)くる。

参考になりましたかな。

2015年8月 6日 (木)

2015 CJ-1 白馬マウンテンバイク大会(白馬スノーハープ)

開催日:8/1(土)~8/2(日)

カテゴリー:男子チャレンジA 5.2km×2laps

コースコンディション:天候=晴れ/路面ドライ(一部ウェット)

リザルト:42位/45名出走

(8/1:試合前日)
今期初の前日入り&宿泊。朝9時に45さんに迎えに来てもらって、プレミアム商品券目当ての客でごった返すスーパーで水や氷やを調達し、出発。

信州に入り、高速を降りて昼食。「黒部ダムカレー」を食そうと、情報が少ない中、とりあえず信濃大町駅の観光案内書で説明を聞き、数件外してようやく目的の食事にありつく。

Img_3123 (信濃大町駅前「豚のさんぽ」さん謹製「黒部ダムカレー」)

会場到着は14時回っていた。先に来ていた知人らに聞くと、とにかく「暑い」。ゆっくり準備し、試走コースイン。1周目は45さんについてもらって諸々ご指南いただく。特にラダー①=スノコ+丸太セクションは渡るまで許してもらえず…数回そこを往復し、3度目で何とかふらつきながらもクリア。その後はそれぞれのペースで1周、コースクローズの16時半までいっぱい使って終了。

宿で愛知県チームと合流。一度買出しに出て、戻れば夕食。しっかり民宿らしい、品数の多い御膳をいただき満腹。その後は子供たちを交えて花火。

風呂入って上がってからはオヤジ座談会。軽くビアを入れつつも、早めのお開きで就寝。

(8/2:試合当日)
実は一番快適だった雑魚寝の大部屋。エアコンも無く適度な涼しさで朝を迎える。ただ、自分は起きて間もなく腹の調子が活性化、と思いきや下痢?ガッツリ朝食後、さらにアップ後も合わせて4回トイレに駆け込むハメに。はじめは就寝中の「腹を冷やした」状態か?と思ってたが、違うようだ。そんなでトイレ恐怖に着替えも遅くなる。

先発のチャレンジクラスはAカテゴリで私とtakeさん、Bカテゴリでくわけん。先にくわけんが出て行ったので、私はtakeさんと2人でアップ、短時間でFTPチョイ。会場に戻り、建物の影に入れば玉の汗止まらず。

いつものようにユースの後ろにチャレンジAが並ぶ召集、続いてBの収容が終われば定刻が迫りすぐにスタート。

グラウンドのストレートを勢いよく。続いて太鼓橋(立体交差)に入ると若干脚が重い。それでも「もう少し踏めるか?」と力んでみるが、胃の膨張感がハンパなく、身体全体に力が入らない。付いて行くことすらしんどい状況で、ジープからST到着時既にほぼケツ。さらに渋滞で完全停止。ラダー①に向かいたかったが2~3人前を走るライダーが滑落(それが実はYMTさんだったは)で、動きが止まったのでエスケープを選択。単独でSTを抜け前走に追いつく。

今回、テクニカル=非常に複合要素の多いコーナーが多く、常から山のSTでコーナーリングを練習している我々などは楽しくペースアップ。しかしそのようなライダーばかりではないので詰まる事もしばしば。逆に細い道から開けてジープになると呼吸がきつく、腹が揺さぶられ「おえっ」て感じで周りから置いて行かれる。そんなで1周目後半のバラス登りでは、ついにこみ上げてきて、少し吐く。さらに残りのST区間を抜け、グラウンドに戻る際は一人旅。

Img_3166 (photo:Itoh様)

2周目に入り、フィードでGEN父さんに水をもらって頭を冷やすも、再び太鼓橋を登る際は気持ち悪くてインナー×ローでくるくる。ここで後発のチャレンジBのライダーら(こうまつさん含む)にごっそり抜かれる。

0416 (photo:信州ふぉとふぉと館様 肥えてるから元々?かも知れんが、腹が膨張してる=はっきり腹パンパン状態が見受けられる)

2回目のラダー①は「やっぱり行っとかんと!」で進入するも、後半のラダーに土が乗っていてスリップ、危うく普通なら人が落ちないところで滑落を演じるところだった。ギャラリーが居ない場所でのこんな失態は、ネタにもならない。

STは気持ちよく走ってるつもりでも、ギャップで突き上げられる度に胃はシェイク、何度か繰り返すうち、中盤のジープを勢いよく登って下った先で不意のこみ上げに耐えられず、朝の味噌汁をトップチューブにぶちまける。

豆腐のかけらをヘッド近くに乗せたまま後半、フィードを抜けて橋の下を通るもヘロヘロ、ST&芝刈りな急坂を繰り返す。唯一腹が揺れない極低速な激坂だけが力が入り、数人抜くも、その勢いが続かない。前に見える、いつも最後に抜かれるライダーにも、今回「また」追い付かない展開。

ゴール前のストレートは後ろから(おそらくBカテゴリ)迫られるも、まだ脚の残っている状況と大径ホイール、踏めば引き離せる、で終了。

またあかんかった。今シーズン何度目じゃ?

脚含め筋肉のケアはしていたが、内臓の調子を甘く見ていた。元々胃腸が強い体質ではないので、この日に限らず、ここんとこずっと消化不良的な胃を、整えて来なかったのが一番の敗因。Mas先輩曰く「(この歳=50歳代になると)どこかが調子が悪いのがデフォ」「いつもより過食になりがちな遠征のときは、胃腸系の薬は持っておくのが常識」との訓示。まだ身の程が分かってなかったようだ。

試合後は一旦宿に戻り軒先でクールダウン。ようやく立ち上がる気になった所でマスターズの応援に向かう。炎天下で走るばししさんやMasさんになんとか声掛け、暑いのでまた宿に戻り水分補給。昼食はまだ胃の膨満感が抜けないのでパス。

14時が迫る頃、今度はエリートのフィード。45さん、センム、ryuくんの、主に掛け水担当として入る。昨晩用意しておいた氷、その冷水をボトルで掬って提供。各チームのサポートが選手と共に戦うさまを見ながら、トップカテゴリの厳しくも熱い走りを間近で、さらに息づかいを感じながら時間は過ぎていく。

ワールドカッパーがハイペースで周回を終え、完走できなかったメンバーと共にまた宿に戻り、風呂、漬物を戴き、腰に根が生えそうな所でようやく帰路に着く決心。既に夕方。

高速に乗るまでに食事にありつこう、とのことで、Masさんお勧めの和食処でイワシやサーモンやトンカツや、と思い思いの定食を平らげる。自分もやっと腹が減った状態だったので信州サーモン丼を。

Img_3155 (サーモン丼。食いネタばっか)

食事を終えその店で解散。既に19時。また45さん運転に甘えて家に着いたのは22時前かな。片付け、洗濯で終了。皆さんお疲れさんでした&45さん、お世話様でした。

さて、次の10月までに何ができるか。

第28回全日本マウンテンバイク選手権大会(富士見パノラマ) *これこそ書きたくない

開催日:7/19(日)

カテゴリー:男子チャレンジA 4.41km×2laps

コースコンディション:天候=晴れ/路面ドライ+マッド

リザルト:39位/40名出走

今までのレース環境で一番あかん状況。当日入り&昼には退散そして仕事。万難を廃して望みたかったが、客先の予定が急遽1週間前倒しになり、その時点で諦めた。日本一を決めるエリートの試合観戦すら許されない。

朝4時名古屋発、6時半に会場入り。7時からのレジストレーションに合わせて自転車を取り出し準備、10分ほど前に本部に着くと既に10人以上は並んでいる。

ライセンス確認、そして「今日は全日本なのでCJとは違います」と、本日のみ有効のBIBを渡され、一旦車に戻る。自転車にあらかじめ付けてきたCJのBIBから付け替え、アップ兼の試走へ。

Img_3094 (ちょっと番号が若い)

事前の情報で聞いていたが、2~3日前の台風絡みの大雨のせいで、思った以上にぬかるみが酷い。履いているMYTHOS XC29では下りのみならず登りでもスリップダウンするポイント多数。ほんのちょっとした草の坂を上がって行けない。特にこの時点ではまだタイヤのエア圧が高かった=通常使用時の圧だったから余計に、だ。

試走は1周回るのが関の山、ドロ団子になったタイヤを洗いに洗車場、余裕かまして並んでいたが、順番回ってきて自分が蛇口をひねる際にふと見た時計、すでに8時10分を回っている。出走時間は8時30分、召集はその15分前だ。

「!」マジ時間無い!タイヤのノブが見える程度、ええ加減に泥を落とし、また車に戻ってドリンクだけ補充してすぐ召集に向かう。ま、先頭に並ぶわけではなく、ケツの方なので間に合ったのだが、時間無さ過ぎ。ここで気付き、少しタイヤの圧を抜くも、皆のセッティング程まで落とし切れてなかったらしい。

ハコに収められたら出走待つだけ。周りの選手のタイヤを見ると8割はマッドまたはノブ高めのタイヤ。同じタイヤを履くライダーも居たが、彼らのは275。そう、このタイヤ、29inと27.5inではトレッドデザインに違いがあり、275の方がノブが高い。もう“やらかした感”が満載。

そして号砲。ユースが勢いよく出た真後ろをチャレンジAが追走、私はごそごそと後ろの塊の中に。下りに入ってパンプでは一気に抜きそうな勢いで進むも、コーナーを前にして飛び出し過ぎで、結局元の位置のまま展開、登りに差し掛かる。

ここからもう、面倒なほど、ちょっとした勾配の変化で「ズリッ」と後輪が滑る。そして足を着く、罵声(「おいっ!」「チッ!」程度だが)を浴びる、2~3人のパックに抜かされる。この繰り返しで1度目のピークにさしかかる手前で、同じクラスの殆どの選手に先行される。更に2分後出走のフルSHOW君にも「抜きますよー」と早くも追い付かれる。そんなチャレンジBにもどんどん抜かれる。

Img_3104 (photo:Itoh様)

さらに上のAダッシュと呼ばれる特別セクションも、押して上がって押して下るという状況、降りてからの芝生でまた滑る、林を抜けたウェットのジープではどっちに向いて自転車が走るか分からん状況。この時点で怖さだけが残り、大きく戦意喪失。

唯一4Xだけが速度を乗せられる場所だが、ほとんど周りのライダーと数秒も変わらない。そんなで1周を終え、再びあのちゅるちゅるに向かうと思うと気が重い。

Img_3105 (photo:Itoh様)

2周目は部分的に乗れる地点は増えたが、一度勢いを失って“目がビビる”状態だと、大丈夫だろうセクションも押してしまう。また、とっ散らかしゾーンは蛇行して後続を塞いだり、かっこ悪いことありゃしない。

Img_3096 (ちゅるちゅるだわ)

結局マシントラブルで押していた選手を除けばビリ。なんのこっちゃ状態で試合を終え、これから試合に望む人にお別れの挨拶して、昼には会場を後にし、一旦家へ帰り着替え、16時頃の仕事に向かった。

正味、全日本という試合に取り組む態度ではなかった。真剣に走った選手に申し訳ない程。まさに「やっつけ仕事」。

反省とか、次回対策とか、それ以前の問題。分かったことは『全て準備不足』。せめてもの次回に繋げる意味も込めて、帰宅後すぐにマッドタイヤを注文したのは言うまでもない。

身の程を知れ・・・CJ-1 富士見を終えて

今を遡る5/31(日)の話。2015 CJ-1 富士見パノラマ大会のこと。

カテゴリー:男子チャレンジA 4.7km×2laps

コースコンディション:天候=晴れ/路面ドライ

リザルト:48位/54名出走(DNF1)

この結果を受けて、自分は何か納得できず、悶々としていた。前回の試合から自分なりの修正点、ライディングポジション、それなりのコンディション調整…何かしらを変化させ、望んだ大会だったが、あまりの不甲斐なさ、前とあまり変わらないリザルト、いやむしろ出走者が多い分、着位は低い。

Img_2981 (photoは・・・すいませんどちらの方にいただいたやら)

そんな私に、友人は「実は、何もおかしくないんじゃない?」と言った。そう、それがあなたの実力まま、そんな程度の走りしかできないんだと。

『身の程を知れ』

悔しい。…しかし一歩下がって、冷静に考えてみた。客観視すればするほど、自意識のズレを認めざるを得ないのかと。

『歳をとる毎に弱くなってアタリマエ』

去年の自分より、そう、自分の体力は、自身が思っているよりはるかに早いスピードでどんどん落ちてるようだ。確かに、練習の内容や強度は徐々にステップアップし、今までよりハードになっている。しかし、それは“自分比”であって、相対的に見れば、今の若い子含め、普通にこなしているメニューに過ぎない。

そんな練習を積んでも、現実では、坂道で自分が最大踏める歯が1枚軽い方になってたり、その出力を継続できる時間が短くなってたり=特にこちらは顕著。今まで踏んでいた歯で、ある坂を耐えて踏んで行けたのがほんの少し手前で“売り切れ”たり。加えて疲れが早く訪れたり、その疲れが抜けるまでの時間が長引いたり。

昔、自分が30代の頃、先輩らが「君ら(レース等)頑張った日の翌日に筋肉痛になるやろ?我々は翌々日になって身が張る(筋肉痛)んだで」と40代の弁。「いやいや、日曜が試合やったら水曜日位に来るで」と、さらに50代の弁。それが今、自分の身に起ころうとしている、いや、起こっている事を知らなければいけない。

じゃあ対策は?

まず“疲れにくい”とか“回復”という点から手をつけて、サプリメントを摂ることから考えた。以前から安いプロテインは練習後に飲んでいるが、それ以外にアミノ酸とかクエン酸とかも練習前後や練習中に摂取した方がいいとのことで、買ってみた。ただこれを継続すると結構なランニングコストなんだよな。

Sapli

(割と定番なのね)

合わせて筋肉の疲労を取るボディケア製品。寒さや酷暑向けの皮膚を保護するクリームは今も使っているが、リフレッシュとかリカバリーとかのオイルも調達。これは肌(皮膚)に合うか合わないかがあるので一概ではないが、ちょっと冒険でアロマオイル系を手に入れた。幸い、肌が荒れたり腫れたりしてないので、何とか使えそうだ。

それらを6月から投入。劇的に効いたという自覚は無いが、少しずつ変わってきているのかも。

というか、皆に訊いてみると、同年代らには『そんなの必須』的に言われた。なあんだ。自分だけかよ、やってなかったん。

あとは心臓をおとなしくさせるために、できる限りの睡眠時間確保と、適度な刺激の練習とを欠かさずに継続することか。そう、頻脈も歳をとってからの症状。これともうまく付き合っていかなきゃならんのだし。残念ながらXCOは筋肉にも心臓にも強い負荷をかける競技。本当はこの年代でやるべきスポーツではないのかも。

試合中、何度も「やめてやる」と思うんだが、終わってみると「やっぱりもうちょっと続けようかな」と。そんなこんなを繰り返し、40歳後半から参戦のXCO、Jシリーズから数えて今年は6年目に入ってるんだよな。

そして既に、この記事を書いているときは、既にシーズンの前半が消化されている(CJ-1白馬終了)。このことを踏まえて迎えた全日本と白馬戦。そんな意気込みでも、やはり現実は・・・

Img_3054 (CJ戦が無い時期に出てみたCrifford Rd2 Gonzo。この後、この2人に抜かれる訳だが、やはり一朝一夕に変化は現れない)

2015年5月25日 (月)

大径化は悪か。

昨年、我々26in乗りは、いつも大径車乗りに煽られ、抜かれ、ぶっちぎられ…辛酸をなめ続けてきた。私がパワーやテクニック共に他者より秀でていれば、そんなことを気にする事もないだろうが、同じクラス(ステージ)で走っている面々は、自分と殆どパフォーマンスが変わらないか、それ以上の選手ばかりだ。そんな彼らが29erや275を乗ればそのアドバンテージ分だけ成績に反映するのは自明の理。

ある意味本当に「懲りた」ので、今シーズンは無理をしてでも大径車を入手し、せめてライバルおじさんらと機材だけでも同じ立ち位置に居たい、と思い、昨シーズン終了から金策含め新車の検討を開始。

因みに勘違いしてもらっては困るのだが、今まで26inに乗っていたのは、29erや275が嫌いだから、新しいモノに対してアンチだから、ではない。ただ、その買い替え潮流に乗るタイミングを逸していただけのことだ。

ただ、26inに乗り続けた事、これは自分にとって大きな意味を持つ。

本格的にXCレースに参戦して丸4年、いろんな方から教えを請うて、この5年目でやっとこの競技、及びその練習にある程度耐えうる“身体”になってきた気がする(ここで痩せた肥えたは言わない)。既に半世紀生きたリアル中年な私、今更“成長”したわけではなく、なんとなく“順応”したという言葉がフィットする。そして今までの過程で一段一段、教えられたトレーニングをこなす中で、それまでの自分と比較する際に、26inという一元化した機材で変化を観察出来たことは、プラスな事だったと考える。

そんな中、自分が“完成した”と自惚れたのではなく、この年齢になって、あと何年競技続けられるんだ?とか、同等の機材を持ってしか、仲間同士で試合で絡む事や練習時遅れを取ること無く一緒に追い込める事が難しくなる…そんな焦りから29erまたは275にスイッチすることにした。

と言っても予算は少ない。店に相談し、ほぼ決め打ちで機種は決まった。「店の都合」「業者の都合」「懐の都合」でコレだ。

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Frame:LITEC QUE 17.5in
Fork:ROCKSHOX REBA RL(2015) 29 1.5T
Wheel:XT=WH-M785-29-F15/R
MainCompo:XT&SLX mix

「変わるなら劇的に」だ。コントロール性と、26inからの乗り換えで違和感が無いと言われた275は敢えてやめた。乗り物として“別物”な29erにした方が、それを乗りこなす事もテーマとして新鮮味があるだろうと。

LITEC QUEは発表が2012年。KWを乗り始めて半年位後にリリースされている。その時から基本スペック・ジオメトリは変わっていない。というかモデルチェンジしてない。自己基準的なスケールで言うと「第2世代」XC系29erだ。フレームも“超軽”ではなく、1.2kg程の重さ、至って「安全カーボン」。リアエンドも9mmQR。

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新規パーツはRD、フォーク、ホイール&ローター、ハンドルバー。
移植パーツはクランク(但しチェーンホイールは26in時の40/28から38/26(中古)へ)&ペダル、サドル、グリップ、右(R)シフター、カセット&中古FD。
タイヤは今のところ前後ともIRC MYTHOSXC 29 TR。
フォークはあれほどFOX派(FOXフェチ)だった私が、何故にROCKSHOX?と突っ込まれそうだが、これこそ店や業者都合。ご存じの通りLITECはダートフリークさんのプライベートブランド、ROCKSHOX(SRAM)は同社が日本総輸入代理店。あ、別に安くなったとかベタなメリットは無い。…こんな理由も面白いが、本当の選択理由は「自分でメンテできるから」。もう現行のFOX、CTDダンパーに至ってはダンパーオイル交換すら出来る気がしない。

あと、これになったコストメリットが、元が「完成車」だということ。一部の方はご存じかも知れないが、(たぶん営業施策的に)一時的に出回った、メインコンポをM66x系のSLX、ローエンドのROCKSHOXフォーク、ローエンドのFULCRUMホイール&スチールビードのチューブドタイヤ、一部自社パーツで組まれたものだった。
その中でLITECステム+シートポスト(非売品)、M666ブレーキシステム、M66xの左(F)シフターをそのまま利用。これはその部分のパーツ代数万円が助かったという事。…それ以外はレースレディではないので取り外した。

店にはアッセンブル時にケーブル関連、ヘッドパーツ、チェーンを最適化してもらい、完成。およそ10.8kg前後だそうだ。今まで乗っていたKWとあまり変わらないか、チョイ重な感じ。

KWと比較して、はっきり言って見た目は全然、新鮮味は無い。本体カラーはカーボンメッシュ生地(デザイン)ベースに白ロゴ、ホイールも黒系。違うのはKWがフォークの色が白、QUEが黒という位。

パーツグレードは総じて見ればグレードダウン。仕方がない、実用重視。そりゃXTRがええのは分かるが、今の自分がハンドリングできるお金で、さらにクラッシュリプレイスメントを考えるとこの辺りが妥当。

2月から乗り始めて約4か月、実際、乗って直ぐは戸惑った。ここに来て、試合で実戦を踏み、先人の教えと自己分析を経て、ようやくこの自転車がコントロール下に入ってきた。漕ぎに関しては、ペダリングポジションを今までのに合わせてあるので、大きな違和感も無いが、やはりコーナーリングが問題で、自分のフォーム含め姿勢制御、合わせてセッティングは、今まで以上に“意識”が必要だというのを感じている。

練習では、それなりの“時短”効果が出ているが、先の高島戦ではそれを発揮できず・・・今後に期待?(できるのか?)

そうそう。インプレ・メカフェチ風は今後追々に。

2015 CJ-U インターナショナル びわこ高島ステージ(朽木)

開催日:5/2(土)

カテゴリー:男子チャレンジA

コースコンディション:天候=晴れ/路面ドライ 春先にしては気温高め、乾燥気味

リザルト:35位(-1Lap)/45名出走(DNF1)

さて、自分にとってようやくレースデイ。今回、JCFによる新体制が決まって、早い段階から情報公開と方向性を探っていた本大会、大型連休とあって、XCO、DHIとも2日間のレース開催だった。つまり、今まで前日インスペを済まし、試合当日全カテゴリーが出走というパターンだったが、今回の詳細な分類で、クラスが増えることを考慮してか、我々の前座なカテゴリー=チャレンジクラスは初日開催となった。

少し残念なのは、いつものメンバーの応援が出来ないこと。2日間通しで会場に居ればいいのだが、そうもいかず、自分の出走日のみの参加で、試走に来ていたメンバーとも会えなかった。ただ、寂しい思いをした反面、もうかれこれ5~6年以上会ってない先輩がスタッフとして会場に居たのは嬉しかった。

そんな中、早朝、連休渋滞を避けて早くに名古屋を発ち、ゲートオープン前に会場着、入場からはすぐに準備して試走、のはずが、レジストレーションに非常に時間がかかり、コースに出たのは1周出来るか否か、の時間だった。この長時間になった受付の原因、それは多数の参加者がライセンスを持参しなかった事にある。私も八幡浜Jインターナショナルに初めて行った際、同じ失敗をした。インターナショナルレースでは、ライセンスの現物提示無しでは受付不可というルールがある。これが周知されていなかった。特に以前からJシリーズに出ていればそのようなミスは少ないだろうが、初参加やJでも八幡浜に出てない選手だと、その認識は薄いだろう。これは“常識”かも知れないが、主催者から注意喚起があってもよかったのではないか、と思った。

さて、そんなで試走。チャレンジクラスでは、他のカテゴリーと違い、リフトの一番上まで上がらず、その手前でダーっと直線的にゲレンデを突っ切って降りてくるレイアウト。そこでなんと、自分だけどうしてもコースをトレース出来ないゾーンが。何度繰り返してもアウト側に膨れ、コーステープに突っ込んでしまう。これには参った。さらにタイトコーナーでの旋回の遅さ、登り返しの処理が出来ず足つき・・・無茶苦茶ヘタクソじゃないか。肩を落として試走を終えた。

そこでさっき先輩が言ってた(ちょっとセッティングの話もしていた)「メーカー推奨値ばかりに拘っていたらいかんよ」というフレーズを思い出し、急遽タイヤのエア圧やサスのパラメータを変更。試走は出来ないが、さっきのままじゃまともに走れないので、一か八か。

そうこうしているうちに、子供たちや一般のレースも終わり、早めにアップしていたつもりだったが意外とちょうどだったり・・・召集が始まった。この召集に関しては、“ボックス”ごとに、出走順の選手を固めておき、順次コールでスタートラインに付くもの。これは合理的で整然としているので良き改善方向かと。

そして、約50人弱のチャレンジAのすぐ後ろ、チャレンジBの選手が並ぶ。出走時間差は5分。自分の“A”にもとんでもない選手(プロ)が混ざっているが、“B”にもCXじゃC1走ってるようなツワモノの顔が散見される。

で、号砲!スムーズに集団は登坂方向へ。自分はクリートもすぐに拾え、中間辺りの位置になったが、ここで気持ち的に既に負け、この長い登坂に自身が持てなかった。というのも、一昨年前の試合で、勢い良く先頭を見てついて行ったが、ピークでいっぱいいっぱい、その後は回復もせず、という失敗展開を経験しているが故に、完全に“ビビリ”が入ってしまった。

するとあっという間に後半組、林の中のSTも詰まることは無いが、抜く根性も無い。ダラダラ状態で下り出す。

直前のセッティング変更は功を奏し、試走時みたいな不安はなくなったが、それは決して速く走れていると同義ではなく、1周目にしてほぼ位置決めが入ってしまった。

2周目の登坂、コースサイドの先輩にゃ「ハエが止まっとるぞ」と言われ、奮起を促されるが、今ひとつ脚が回らない。見れば、少し選考する愛知県メンバーも、もうひとつ切れが無い。『暑い・・・』ニュートラルフィードで水を口にするも、渇きは癒えない。どうやら、つい最近までタイツを履いて練習するほどだった季節が、急に2週前位からビブ1枚で過ごせるようになったばかり。そう、日頃ガッツリ外で過ごしていないオジサンには、明らかに身体が気候に馴染んでないのだ。

持参のボトルに口をつけるが、エナジードリンクままに近い濃度の液体は、かえって摂取し辛い。それは諦め、次の周回のフィードまで我慢だ・・・そのうちにBクラスのトップ選手達が横をかすめて抜いていく・・・。

3周回目、先輩に「蚊が止まっとる」と言われても、どうしようもなく、フィードで水をがぶ飲みするも回復せず(首筋に水をぶっ掛けりゃよかったのだが、その時は思いつかず)、目の前でスローパンクを修理するYMTさんに追いつきそうになったがすぐ離され、そろそろペースの落ちてきた選手を下りで抜けず、麓から再登坂する辺りで、Bクラスのまっちゃんに追いつかれ、その後ろをぴったりマークするが時既に遅し。80%小屋で降ろされる。久々&突然の引き留めで『??』の状態。「あ、そうか、脚きりか」と理解するのに間があった。

そんなであっけなく終わった今年の初戦。新機材による、成績の有意差も見出せないまま終了。リザルト見れば、同じクラスの愛知県勢の中では一番遅かった。また、クラス違えど、まっちゃんは完走、本格的にXCO初参戦のFRSHOW君も完走し、二人のラップタイムを見れば私の負け。

相変わらず冴えない内容だったが、これからどうなるのか?この冬のがんばりと投資は、すべて無に帰すのか・・・。

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(photo by 巨匠殿。今年は基本、全員が固定ナンバー)

季節は流れ・・・

ご無沙汰であります。

現在の自分、MTBにも乗ってますし、試合にも出てます。といっても今年はまだ1回だけですが。

CJシリーズ、当初はどうなるか?という雰囲気でしたが、今までの開催では、我々参加者からの見た目では、大きな混乱も無く粛々と進んでいるような感じをうけとります。

そんなシリーズ戦も、全日本を含むXCO15戦中、4戦が既に消化され、積極的に参加されてる選手などはしっかりランキングを上げていってる状態。私はというと、成績もパッとせん上に、1戦しか出とらんので、ほぼ底辺。

それでも、合計枠6戦は出たいところ。もう、この週末にCJ-1富士見(春)戦が迫ってきているので、ちょっと報告を。(では別記事でね)

2015年2月 7日 (土)

「クップ ドュ ジャポン エムティービー」って

何か恥ずかしくてよう発音しませんわ。私はおフランスの出身でもないし、何で~MTBは英語やねん!(VTT、とかとちゃうんかいな)っとツッコミ入れたくなるので・・・以下、CJ(シージェイ)で呼称しますわ。

自分の状況を語る前に、ちょっとここ最近の世の経緯を。

・・・年初にMTBの公認大会について、大きな変化があった。ご存知のように、今までJMA(日本マウンテンバイク協会)が運営していた「Jシリーズ(=日本国内のMTBクロスカントリー/ダウンヒル競技の、年間を通したシリーズ戦)」が無くなり、新たにJMA直轄で「Coupe de Japon MTB」という大会シリーズに取ってかわったのだ。

1月の発表、その時点では「概要」で、それに対しての様々な意見や議論が飛び交った中で、新たに一部修正項目を含んだ「大会要綱」がこの2月初頭にリリースされた。

2015「JCF公認Coupe du Japon MTB」大会要綱

来たる東京五輪に向けてのMTB競技の国際化を目指すものとして、UCI(Union Cycliste Internationale:国際自転車競技連合)の基準に則ったルールでの大会運営が叫ばれていた中、ようやくその大鉈が振るわれた。

詳細は割愛するが、従前の「実力(競技力)別」のクラス分けから、「年齢別」のカテゴリー分けになったのが大きな違い。そこで、Jシリーズからシリーズ戦を引き継ぐ段階で問題になったのが、今までの基準で分類されていた選手を、今後どう振り分けるか、だった。

当初の発表では、バッサリ年齢で分け、一定のランキング境界線から上位の選手と、それ以外の選手で2分した状況だった。しかしこれだと、年齢による偏り(圧倒的に30歳以上の選手が多い;約8割以上)と、実力格差が大きく出過ぎる事が懸念される、との意見が多かったので、もう少しクラスを分化したのが、今回の修正項目になった。ここでは個々の解説はしない。各自ご確認を。

ここから自分の事。

この新フォーマットの大会に面し、「自分基準(=2014年Jシリーズエキスパートランキング101位以下×年齢30歳以上)」を例に挙げると

「チャレンジA」

が該当する。このクラスは昨年のJエキパ101位以下と、Jスポーツの50位以上の選手が入る枠なので、かなりレース経験があって、実力拮抗なメンバーが揃うだろうと予想される。ざっくり100名位が対象なので、今までの試合と同じ人数の出走が見込まれる。ただ、このカテゴリ以下は「JCFカテゴリ」となり、上位の「UCIカテゴリ」と違い、年齢別のレースにはならない。皆同じステージで順番が付く。でも、全く年齢分けが関係しないかというと、どうも“昇格選考”において、その試合(CJ-UとCJ-1のみ)で年齢枠1位はその考課に当たるという。ここは言及されていないので該当の試合が実施された後の発表になるかと思う。

いずれにせよ私の友人達=ライバルオジサンは上位の「男子マスターズ」という「UCIカテゴリ」=世界標準に位置しているので、自分は「JCFカテゴリ」=日本標準の中で揉まれて、彼らの背中を追えるよう、このCJに取り組んでいこう。